感じてもいいし、感じなくてもいい。

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感じてもいいし、感じなくてもいい。

MBCJコラム

2018/05/07 感じてもいいし、感じなくてもいい。

第32期ボディクラス:第3&4回(2018年4月6、12日)

参加者:ことこ、ひとみ、Tommy、ゆみ、よっしー、りょうこ



自分でも、何に挑戦しているのか、わからないのだけど。

やらなければいけない、と自分で思っていることを、いつまでやらないでいられるか、

ということに、もうずいぶん長いこと、挑戦しつづけている、ような気がする。

それによって、必ず、そんなこと(やらないでいること)やらないで、さっさとやれば
よかった、

という結論になることは、いつもいつもいつもいつも、わかっているのだけれど。

どういうわけだか、自分でやらなければいけないこと、をやらない、

ということに、チャレンジしつづけている。


ダラダラしたい、とか、ズルズルしたい、とか、グータラしたい、とか、

汚れたい、とか、汚いままでいたい、とか、だらしなくしたい、とか、

しょーもない自分の欲求には、すなおに従う。


そして、自分をどんどん、嫌いになる。

捨てたくなる。

いなくなりたくなる。


…でも。


捨てきれなくて。


結局、こんなわたしを立ち上がらせるのは、わたししかいない、と気づく、

ということを、繰り返す。


なに、このバカな繰り返し。



それを、気づけば、15のときから、ず~~~っと、やっている。


なにしてんだか。


15~18のときは、まだ、それでも、羞恥心、とか、見栄、とか、

希望、とか、理想、とか、怒り、とか…

細胞の細部が、今、生まれている感覚、というか、

生々しいエッジ感があった。

今、生きてるここが、自分のライフの崖の突端で、

その向こうはほんとに無、な、生々しい生の感覚が。

でも、18のとき、「あたしの人生は、終わった」と思った。

あ、あたしは終わりだ、と。


19~22のときは、ただの自堕落になった。


23はなぜだか、生きてる感じがしていた。

明るい一年だった。


24から、死んだ。

そのあと20代は、自分を、殺した。

30~33は、父の“ほんとの死”に直面し、34は覚えていなくて、

35で気がついたときは、「もう、取り返しがつかない」と思っていた。


ああ、そうか。

人間、どうやら、やり直しがきく、っていうのが正解らしいけど、

でも、あたしの人生、もう、取り返しがつかない、と。


36、37、38…と、「やばいやばいやばい」と思っていて、

39でとうとう、「病気」の看板をもらいました。

自分のつま先で立っている場所すら、この地球上にはないように感じていて。

前にもうしろにも、左にも右にも、上にも下にも、どこにも、

自分がいていい場所はないように感じていました。

「1+10」は簡単だったはずのに不安でわからなくなり、

「1+1」でさえ、わからなくなり。

呼吸のしかたが、わからなくなり。

なにも、やりかたが、わからなくなり。

いろいろ、忘れてしまいました。



自分を「いらない!!」と思っていたけど、

「こんなあたし、あたしは、いらない!!」と思っていたけど、

気がついたら、自分の脳に、わたしは、捨てられていました。


なんにもできないまま、3か月が過ぎ、

会社に行けないまま、5か月が過ぎ。

あるとき、ついていたテレビに雪景色が表れ、「初女さんのおにぎり」という

タイトルを見たとき、「あ、これはわたしにとって大切な番組が始まった」と

なぜか思って。

NHKのその佐藤初女さんの番組が終わったあと、起き上がることができました。


そして、包丁でにんじんの皮をむいて、じゃがいもの皮をむいて。

「あ、あたしにも、できることがあった…」と、気づいたのでした。


あ、洗濯ができた。

あ、スーパーで何を買ったらいいかわからなくならずに買うことができた。

あ、電車に乗れた…。


自分にできることがあることに、少しずつ、気づいていきました。



駅までの道中に、畳屋さんがあって。

深夜でもそこだけいつも電気がついていて、腰の曲がったおじさんが作業をしていて。

この街に住み始めてから5年以上、その姿を見てきていました。

あるとき、その姿に突き動かされるように、「あたしも、働きたい」と思いました。


それで、今の職場に、戻ることができました。

会社に行けなくなってから、7か月が過ぎていました。


復職して1~2年、つまり、40~41のころのことは、記憶は、あまり、ない。


でも、マリーズケアに出会い、ことこさんに出会い、

ボディクラスに入り、メンタルクラスで学び、フェイシャルクラスも経験し…

42、43、44、45を暮らし。


もうすぐ46になろうとしているときに。


あたしは、なにか、つかんでおかなければいけないものを簡単に手放してしまい、

捨てていけばいいものばかり、ぎゅっと握りつづけて手の中で腐らせている…

と感じています。



全然、これは、今回のワークでの体験の感想ではなくなってしまっているけれど、

でも、今のこのわたしは、今回のワークを経験した上でのわたしだから、

今回のワークの感想ではない、とは言い切れないのだ、と思いつつ。長い前置き。



なんで今さら、こんな振り返りをしているんだ、とわれながら思うけれど。

上がってきたのがこれだった…というか、これを書いてからでなくては

自分と向き合えなかった、というわけなので、お許しください。




で、ワーク。

はだしの、ワーク。

マリケアから「わーい」と飛び出して、ゆみちゃんに見守ってもらって、

目を閉じて、両手のひら・両足の裏を使って、手探り・足探りで公園を感じる。

すぐそばを、車が通る音がする。

その音の近さで、ずいぶん公園の端を“探索”していることは理解する。

靴音がしてくる。

気配を感じる。

それは、マイナスの、気配。

マイナス感情の。

「なに、この人(たち)」と思われているのが感じられる、負の気配。

靴音が遠ざかっていっても、そのわたし(たち)に向けられた「不審」の

感情は、わたしに刺されたまま、靴音といっしょに負の感情が糸を引く。

すぐ脇を“先輩”(幼児)がキャッキャと走り抜けるときは、

なにも感じないのに、それを見守る保護者の“揺らぎ”は感じる。

木や草たちは、“先輩”と同じ。

負の気配なんてものはまったく感じない。

感じられるとすれば、“おまかせ”の空気。

「はいはい。どうぞ、あなたの好きなようにしなさい」というような。

だから、わたしは、安心して、木に抱きつく。

わたしの手で、ほっぺで、鼻で、胸で、おなかで、ももで、足の裏で、

ぜ~んぶで、「ねぇねぇ、(桜の)木さん。ねぇねぇ!!」とくっつく。

木は「はいはい。好きなようにしたらいいわ」と、からだをあずけてくれる。

ゆだねてくれる。

わたしが感じたいように感じさせてくれる。

なんにもしてこない。

ただ、わたしが感じたいように、まかせてくれる。

まんま、そこにいてくれる。

わたしは、だから、安心して、抱きつく。

それを、不審げに見ているのであろうエネルギーを、靴音方向から感じながら。

でも、ゆみちゃんがいてくれるから、あたしは、だいじょうぶ。

好き放題、させてもらう。

かなりの許容度で、好き放題させてくれるゆみちゃんのサポートにくつろぎながら。


あたしも、この木みたいになりたい、と思う。

こんなふうに、「さあ、あなたの感じたいように、感じたらいいわ」と、

からだを開いて迎えられるひとになれたら、と思う。

「感じてもいいし、感じなくてもいい。あたしはここにいる。あなたは、あなた。

 あなたのやりたいようにやったらいい」


すげ~なぁ、木は。

すげ~なぁ、公園は。

すげ~なぁ、先輩は。


気持ちいいなぁ…。


気持ちいいなぁ、この風。

気持ちいいなぁ、この光。


いいなぁ、このワーク。


サポートする側の役になって、みんなのワークする姿を見ながら、にんまりする。


ゆみちゃんの、ダンスするような、うしろさがりの“探索”。

木に背をあずけて、なにかを感じている姿の、美しさ。


遠くでペアになってワークするクラスメートたちの、美しさ。


春の光の中で、緑の若葉が美しくて、風がここちよくて、

足裏のセンサーが刺激されて、胸の窓がひとつ、また開いたようで…。


オープン。



そして、翌週のからだに触れる手技で、ことこさんが強調する「抜く」の大切さ。

「ゆっくり『抜く』ときに、大事に丁寧に『引く』ときに、

 大切にされていると感じられる」

「ゆ~っくり放すときに『引く』『とる』」

「『抜く』『手放す』が『生きる力』を思いださせていく」



聴くたびに、深まる。

触れるたびに、深まる。

触れられるたびに、深まる。


わたしは、手放し方と、触れ方が、まだまだまだまだへたっぴだ。

やっと、自分を、感じられるような状態にできるかどうか、というところに

もってきつつある、のかもしれない。

まだまだまだまだ、自分がわからない。

自分を、知らない。

自分の荷物を下ろすやり方がわかって下ろしてみたけれど、

下ろした体勢のまま、ぎっくり腰になっちゃって、

そこからどう動いていったらいいか、が、わからない状態のような気もする。



生まれたかぎり、生きていかなきゃいけないことは、悔しいけど、受け入れる。

自分を捨てられない人間だということも、しかたない、受け入れるしかない。


あとは…また、学んでいく。


まだまだまだまだ。



りょうこ

 

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