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神奈川県 横浜市青葉区あざみ野2−28−10−202
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みんな疲れてる
会社で、唐突に、思ったんですよ。
「どこ行っても、みんな、疲れてる。
疲れた人を見るのは、疲れた。
疲れてる人のいない世界、って、ないのかな」
って。
「一年中、どこへ行っても、みんな、疲れてる。
家へ帰っても、帰省しても、地元のみんなも、知り合った人も、
会社に来ても、電車に乗ってても、どこのお寺へ行っても……
みんな、疲れてる。
げんきにしてるけど、疲れてる。
お坊さんでさえ、疲れてる。
日本全国、疲れた人ばっか。
疲れてない人に、会いたい。
疲れてない人の世界で、働きたい」
そう唐突に思いながら、実は、一人だけ、「疲れて」はいない人、を、
思いついては、いたんです。
「疲れてない人のいない世界は、ないの?
疲れてる人のいないところ、って、
人間が生きるところじゃ、ないのかな」
なんだか息がつまって、職場にいられなくなって、
会社のトイレに駆け込みながら、夫にLINEを送って……
でも、一人だけ、「疲れていない人」について、
思い浮かんだ人のことを、思っていました。
「何かに追い回されない世界。
ないのかな?
疲れてないと、『生きてる』ってことに、ならないのかな?」
夫に、そう、書き送った後、付け足しました。
「疲れてないのは、ことこさんだけ」
ことこさんが、まだ、「相方様の祝勤続25年特別休暇ツーリング」に
出発されていないころのことでした。
「願い事」や「誓い」について、ブログに書かれているのを拝見して、
ことこさんは、どんな「願い事」をしようとしているんだろう、
どんな「誓い」を立てようとしているんだろう……
いつまでたっても、レポートを書き出せない自分に悶々としながら、
「今・ここ」に集中したり、逃げたがったりの日々を送っていました。
ことこさんは、「疲れて」は、いない。
そう表現してしまうことで、
ことこさんを縛るようなことがあってはいけない、
とは思いました。
そりゃ、疲れることは、あるべ。
「疲れた~」とも、言うべ。
だけど。
わたしが毎日会う「疲れた」人たちのようには、
ことこさんは「疲れ」ない気がする。
いや……わたしは、ことこさんじゃないから、
しかも、わたしが毎日会う「疲れた」人たちは、
それぞれ違うし、わたしじゃないから、
どれとも比べられはしないのだろうけれども。
でも、とにかく。
ことこさんは、わたしが知る、唯一の、「疲れてない人」でした。
2週間も前の、あの日の、わたしの中で。
……で。
何を書こうとしているのか、これは、なんのレポートなのか、
自分でもさ~っぱり、わからないのだけど。
わたしは、「疲れてない人」が、この世にいるかもしれないことに、
気づいてしまったのでした。
そして。
「疲れた人を見るのは、もう、疲れた」と思ってしまった自分に、
ちょっと、あたふたしてしまったのでした。
「疲れた人のいない世界で働きたい」
という、そらおそろしい言葉を書いてしまったことに、
自分で戸惑ってしまったのでした。
ほんとうは、
「自分が疲れ(てい)ない世界で、働きたい」
じゃないのか?
ん?
「自分が疲れない世界」なんて、あるのか?
ことこさんが「疲れ」ていない、なら、
「自分が疲れない」方法が、あるのか?
と、一瞬、ちらついてしまったから。
何かに気がつきそうになってしまって、あわててしまったのでした。
わたしは、気がつきたくないのかしら?
気がつくことを、まだ、受け入れたくないのかしら?
そこから先は、今のところ、シャットアウト。
まだ、こわい。
というところまでは、気づいて。
ことこさんは……
ことこさんは、いつだって、たいがい、
何かに「疲れた」人を迎えるでしょう?
わたしだって、たいがい、
「疲れた」自分を引きずって、マリーズケアに向かう。
毎日毎日、「疲れた」人を笑顔で迎え、
全身全霊で見守り、笑顔でまた、送り出す。
ことし、ことこさんのサロンで「エナジーチャージ」を受けた帰り、
ことこさんとさよならするとき、わたしは、
思いがけない言葉を口にしていました。
「いってきます」
言った自分が、一番、びっくりしていました。
そう。
ことこさんのサロンから、下界というか、現世というか、現実世界へ、
また、“出陣”する、というか、“旅立つ”というか……。
わたしは、“闘い”の“旅”に出たきり、しばらく、さまよっていました。
自分が生きる場所を、
「ここでいいのか?」「ここなのか?」と探していたのですが。
「ここじゃないのか?」「ここじゃないことにしたいのか?」
「ここじゃないことにすると、どうなるのか?」
「『今・ここ』にいればいいじゃん。それだけじゃん。
それを続けりゃ、気がついたときの『今・ここ』にいられるさ」……
そんなことを、毎日毎日毎日毎日、
気がついたときは毎瞬間毎瞬間、思っていて。
その自問自答そのものに、疲れてしまっていました。
「今・ここ」を思って、
「今・ここ」にいられているんだかいられていないんだか……
ま、いられていたり、ほぼほぼいられていなかったり、だったのかな。
いや、先だって見たテレビの脳外科医さんのお話によると、
人間の脳というのは、無意識がぐるぐるぐるぐる回っている中に、
一瞬、意識と呼べる瞬間が訪れ、次の無意識の方向付けをし、
また無意識ぐるぐるに戻るーーーを繰り返しているものだそうだから、
自分が気がつこうとしようがしまいが、気がつくときは気がつくし、
あとはほとんど“夢中”でいられているのかもしれませんが。
だから、なんなのか。
これは、書かなければいけない「ボディクラス」のレポートではなく、
ためこんだ「メンタルワーク」のレポートでもなく……
何を書こうとしていたのか。
「マリケアでパワースポットとして『ここにいる』ことを誓いました」
と、宣言してくれたことこさんに、やっと、わたしも、宣言します。
「11月15日(水)のメンタルクラス、わたし、参加します!!」
そう、“単なる”メンタルクラスの、参加表明です。
りょうこ
24/04/23
24/04/16
24/04/13
24/04/08
24/04/01
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会社で、唐突に、思ったんですよ。
「どこ行っても、みんな、疲れてる。
疲れた人を見るのは、疲れた。
疲れてる人のいない世界、って、ないのかな」
って。
「一年中、どこへ行っても、みんな、疲れてる。
家へ帰っても、帰省しても、地元のみんなも、知り合った人も、
会社に来ても、電車に乗ってても、どこのお寺へ行っても……
みんな、疲れてる。
げんきにしてるけど、疲れてる。
お坊さんでさえ、疲れてる。
日本全国、疲れた人ばっか。
疲れてない人に、会いたい。
疲れてない人の世界で、働きたい」
そう唐突に思いながら、実は、一人だけ、「疲れて」はいない人、を、
思いついては、いたんです。
「疲れてない人のいない世界は、ないの?
疲れてる人のいないところ、って、
人間が生きるところじゃ、ないのかな」
なんだか息がつまって、職場にいられなくなって、
会社のトイレに駆け込みながら、夫にLINEを送って……
でも、一人だけ、「疲れていない人」について、
思い浮かんだ人のことを、思っていました。
「何かに追い回されない世界。
ないのかな?
疲れてないと、『生きてる』ってことに、ならないのかな?」
夫に、そう、書き送った後、付け足しました。
「疲れてないのは、ことこさんだけ」
ことこさんが、まだ、「相方様の祝勤続25年特別休暇ツーリング」に
出発されていないころのことでした。
「願い事」や「誓い」について、ブログに書かれているのを拝見して、
ことこさんは、どんな「願い事」をしようとしているんだろう、
どんな「誓い」を立てようとしているんだろう……
いつまでたっても、レポートを書き出せない自分に悶々としながら、
「今・ここ」に集中したり、逃げたがったりの日々を送っていました。
ことこさんは、「疲れて」は、いない。
そう表現してしまうことで、
ことこさんを縛るようなことがあってはいけない、
とは思いました。
そりゃ、疲れることは、あるべ。
「疲れた~」とも、言うべ。
だけど。
わたしが毎日会う「疲れた」人たちのようには、
ことこさんは「疲れ」ない気がする。
いや……わたしは、ことこさんじゃないから、
しかも、わたしが毎日会う「疲れた」人たちは、
それぞれ違うし、わたしじゃないから、
どれとも比べられはしないのだろうけれども。
でも、とにかく。
ことこさんは、わたしが知る、唯一の、「疲れてない人」でした。
2週間も前の、あの日の、わたしの中で。
……で。
何を書こうとしているのか、これは、なんのレポートなのか、
自分でもさ~っぱり、わからないのだけど。
わたしは、「疲れてない人」が、この世にいるかもしれないことに、
気づいてしまったのでした。
そして。
「疲れた人を見るのは、もう、疲れた」と思ってしまった自分に、
ちょっと、あたふたしてしまったのでした。
「疲れた人のいない世界で働きたい」
という、そらおそろしい言葉を書いてしまったことに、
自分で戸惑ってしまったのでした。
ほんとうは、
「自分が疲れ(てい)ない世界で、働きたい」
じゃないのか?
ん?
「自分が疲れない世界」なんて、あるのか?
ことこさんが「疲れ」ていない、なら、
「自分が疲れない」方法が、あるのか?
と、一瞬、ちらついてしまったから。
何かに気がつきそうになってしまって、あわててしまったのでした。
わたしは、気がつきたくないのかしら?
気がつくことを、まだ、受け入れたくないのかしら?
そこから先は、今のところ、シャットアウト。
まだ、こわい。
というところまでは、気づいて。
ことこさんは……
ことこさんは、いつだって、たいがい、
何かに「疲れた」人を迎えるでしょう?
わたしだって、たいがい、
「疲れた」自分を引きずって、マリーズケアに向かう。
毎日毎日、「疲れた」人を笑顔で迎え、
全身全霊で見守り、笑顔でまた、送り出す。
ことし、ことこさんのサロンで「エナジーチャージ」を受けた帰り、
ことこさんとさよならするとき、わたしは、
思いがけない言葉を口にしていました。
「いってきます」
言った自分が、一番、びっくりしていました。
「いってきます」
そう。
ことこさんのサロンから、下界というか、現世というか、現実世界へ、
また、“出陣”する、というか、“旅立つ”というか……。
わたしは、“闘い”の“旅”に出たきり、しばらく、さまよっていました。
自分が生きる場所を、
「ここでいいのか?」「ここなのか?」と探していたのですが。
「ここじゃないのか?」「ここじゃないことにしたいのか?」
「ここじゃないことにすると、どうなるのか?」
「『今・ここ』にいればいいじゃん。それだけじゃん。
それを続けりゃ、気がついたときの『今・ここ』にいられるさ」……
そんなことを、毎日毎日毎日毎日、
気がついたときは毎瞬間毎瞬間、思っていて。
その自問自答そのものに、疲れてしまっていました。
「今・ここ」を思って、
「今・ここ」にいられているんだかいられていないんだか……
ま、いられていたり、ほぼほぼいられていなかったり、だったのかな。
いや、先だって見たテレビの脳外科医さんのお話によると、
人間の脳というのは、無意識がぐるぐるぐるぐる回っている中に、
一瞬、意識と呼べる瞬間が訪れ、次の無意識の方向付けをし、
また無意識ぐるぐるに戻るーーーを繰り返しているものだそうだから、
自分が気がつこうとしようがしまいが、気がつくときは気がつくし、
あとはほとんど“夢中”でいられているのかもしれませんが。
……で。
だから、なんなのか。
これは、書かなければいけない「ボディクラス」のレポートではなく、
ためこんだ「メンタルワーク」のレポートでもなく……
何を書こうとしていたのか。
「マリケアでパワースポットとして『ここにいる』ことを誓いました」
と、宣言してくれたことこさんに、やっと、わたしも、宣言します。
「11月15日(水)のメンタルクラス、わたし、参加します!!」
そう、“単なる”メンタルクラスの、参加表明です。
りょうこ