痛々しいけど。。。。

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痛々しいけど。。。。

Kotokoのブログ

2018/01/28 痛々しいけど。。。。

今日は、次のご予約まで時間があるので第2章まで掲載してしまおう。

それにしても、今年の冬は寒いぞぉ。

 

暖房も施術中の毛布も、全部倍だ!!

 

 

あ、2章3章いや4章も?!痛々しいです。

しかし、不思議だ。。。。

書いていた当初は泣きながらだったのに、今読み返しても涙出ない。

 

 

悲しくはなく、そんな時代もあったねぇと言う感じ。

だいぶ、癒えてきたな(*^_^*)

 

 

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自伝 第2章 0歳から6

 

 

196887日暑い夏の日

母の実家 山形県米沢市で生まれる。

 

 

出産の痛みに耐えられず、マリ子は大げさに痛がり、看護師にお尻を叩かれたそうだ。

 

自力で出てこないので、吸引分娩になった。

 

頭の形が悪くなった。

2,500kgの小さめの女の子

母方の祖母が「琴子」と名前をつけた。

 

 

両親両方とも初孫でみんな可愛がった

7段飾りの雛人形を買ってくれた。

 

 

母は同じ年齢の子供より成長(歩く・言葉・しぐさ)などが早かったことを喜んだ。

 

母は自分のできなかったことや自分の夢などを琴子に希望した。

英才教育をしたかった。

 

そのせいで周りの子供たちより、一風変わった可愛らしい服を着せていた。

周りからも、いつも可愛らしい服を着ていた子と言われていた。

 

 

母は自分が貧乏だったことを嫌っていて、少しでも良い生活をさせたいと思い、内職を沢山頑張った。

毎日毎日自宅で内職ばかりしていた。

 

 

他の子よりできがいいことを嬉しく思う反面、もっともっとできるようになって欲しいと思い、しつけが厳しくなっていった。

 

 

言葉が少し分かる頃から、間違えると怒るようになった。

 

間違えると「違うでしょ!!」と怒鳴ったり叩いたりした。

 

靴の左右を間違えたり、色の名前を間違えたり、些細なことでもすぐに叩かれ怒鳴られた。

 

 

つねられることが一番イヤだった。

 

 

母の爪はいつも長く伸び尖っていて、マニキュアが塗られていた。

その爪でつねるから、ほっぺがいつも傷だらけだ。

火をつけるよ!と言ってマッチを持って追いかけてくることもあった。

 

 

注射でも、転んでも、叱られているときも泣くと「泣かないの!!」と泣くことを止めたれた。

段々泣かない子になった。

 

 

3歳くらいの頃、絵画を習った

琴子が書いても、横から指導したり手直しをしていて、琴子は楽しくなかった。

 

 

3歳終わりごろ、バレエ教室にも入った。

これはとても楽しくて、14歳まで続けた。

 

 

父は良く遊びに連れて行った。

特にスポーツが得意だったので、子供会の野球のコーチをしていた。

野球の練習に連れて行ったりした。

 

 

父との思い出は、凧揚げやマラソン、ドライブにも行った。

5歳くらいの夏、父の実家の秋田へ行った。

 

秋田の田んぼの真ん中でトンボがいっぱい飛んでいて

それを眺めながら美味しいトウモロコシを食べた。

 

 

 

家族ではあまり遊びに行かなかったが、近所の仲の良い家族数組と

春はお花見で宴会。

夏は川へ泳いだり、BBQなどに行った。

夏のラジオ体操も好きだった。

 

 

幼稚園に入る時、気づくと米沢の母の実家に一人預けられた。

優しい祖母と、恐い祖父と3人で暮らした。

 

米沢の家はとても古く小さく、不思議な匂いがしていた。

トイレは別棟で隣の家の人たちと共同で、もちろん汲み取り式。

トイレに行くのが恐かった。

 

 

3ヶ月ほど米沢の幼稚園に通った。

 

 

その後、自宅から遠い幼稚園に入った。

初めは父が送り、母が迎えにきていたが、1ヶ月練習をし、一人で電車とバスを乗り継いで帰ってくるようになった。

 

帰りの電車で一緒になる知的障害あるのケンちゃんという男の子にとても興味を持っていた。

ケンちゃんの世界に入りたかった。

 

 

何でも一人でできるようにしつけられた。

 

 

高熱を出した時でさえ、一人で病院に行くように言われた。

一人で行くことが心細く、待合室にいる他の親子が羨ましかった。

 

 

近所には年齢が違うが子供が沢山いて、お姉さんお兄さんに遊んでもらった。

みんなとても可愛がってくれた。

花を髪に挿し、お嫁さんごっこが楽しかった。

 

 

5歳になるころ、妹が生まれた。

妹はとても可愛く、よく面倒をみていた。

 

 

妹が生まれてから母は「お姉ちゃんなんだから!」とより叱るようになった。

どうして怒られているのか分らないことばかりだった。

 

 

マリ子はますます怒るようになっていった。

 

ある時、琴子を風呂に閉じ込め、上から水をかけ続けた。

琴子は近所のおばさんの名前を呼びながら「助けて!!」と叫んでいた。

 

 

母が怒り出すのが怖く、顔色を伺うことが多くなった。

それでも、突然怒り出すのでワケが分らなかった。

母は「何か言え!!」というが

私は何を言えばいいのか全く分らない。

それどころか、段々意識が遠くなるのを覚えている。

 

 

母は鬼の形相で怒鳴り散らしているが、音が全く聞こえない。

母の動きもスローモーションだった。

 

 

 

 

時には夜、外に出された。

謝っても家に入れてもらえず、一人玄関の前に座り父の帰りを待った。

父に聞いたことだが、夜の公園でブランコに乗っていることもあったようだ。

 

 

父が帰宅し、一緒に謝るからと促され家に入れてもらった。

何が悪いか、何を謝るのかも分らずに、ただごめんなさいと言い、すぐに布団に入るように言われた。

 

 

6歳になるころ、母に「ママとパパ、どっちと暮らしたい?」と何度か聞かれた。

 

この頃から良く熱を出すようになった。

 

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どう振り返っても、楽しい記憶はあまり無い。

人間の記憶って、イイカゲンなのもだなぁと思う。

 

6歳までの記憶なんて、そんなものかな?!

 

読み返し、今の自分に繋がる部分があるなぁと納得。

弱い立場や壊れてる人が好きなんだわ。

 

 

 

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第1章はこちら

自伝を書く意味って。。。。


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